ごみ削減を考える 京に息づく「始末の心」(2021/7/28日経26)
京都市民の家庭ごみは1人1日400㌘弱で、全国平均と比べても、政令指定都市の中でも、少なくなっています。その理由として、はっきりしているのは、ごみ有料化です。
ピーク時から半減という大幅削減を達成し、大きなリバウンドもなく、さらなる削減を目指した新計画を定めるに至っています。よく言われるのが「ケチな京都人」説です。根底にあるのは「始末の心」かもしれません。
始末の心とは、物(事)の始まりから終わりまでを考えて、始終を整えることとされますが、倹約の意味で使われることもあります、とのこと。
気になって少し調べましたら、日本は一人当たりのゴミ排出量が世界一という情報も出てきました。意外な事実ですが、「始末の心」ランキングがあれば、日本はどういう順位になるのでしょうか。
ムダ、ムラ、ムリを嫌い、日々、カイゼンを重ね、全体最適を志向する日本の物流は始末の心と共にあると感じますが、よく考えて見ますと、長時間労働の主要因は生産性ゼロの待機ですし、空荷でバンバン走るトラックは低い積載率の原因です。
孫請け、ひ孫請けなどの配送契約の多層化というムダも日常風景です。先の、世界一のゴミ排出量も包装や梱包のゴミが主たる原因のようです。文化と歴史が育んだ美徳が、顧客に媚びへつらう商慣習の中で、汚点に変わってしまったのですね。なんとも残念です。